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山田奉行所記念館

山田奉行所記念館
山田奉行所記念館
 山田奉行所記念館は、弘化2年(1845)に、ほぼ全焼した山田奉行所を、翌弘化3年(1846)に新築したときの図面「新造小林役所之図」などに基づき、書院、お白州などその公的部分の一部を復元したものです。主屋81.3坪、門長屋19.6坪で、その広さは、往時の小林役所建物面積の凡そ6分の1にあたります。
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山田奉行所とは…?

 徳川家康は、関ヶ原役後、天下の実権を掌握、慶長8年(1603)2月、江戸に幕府を開きましたが、その遠国奉行として、長崎、佐渡についで同年11月、勢州山田奉行所を度会郡有滝村に開きました。そして、江州山中の代官長野内蔵允友長が奉行へ転役されて着任、同時に江戸表より、支配御組頭4人、与力6騎、同心20人、四日市より水主40人の派遣がありました。また、軍船虎丸、孔雀丸2隻と、関船の天地丸、鬼丸、千速丸、一楽丸、小鷲丸、乙矢丸、小鳥丸7隻を擁し、幕府出先として堂々たる陣容で固められていました。
 山田奉行所は、寛永12年(1635)第7代花房志摩守のとき、この地度会郡小林村に移され、幕府が終焉を迎えるまで、この地にありました。また、船蔵も翌年同じ地に移されました。伊勢市内に点在する奉行所跡は、この間に奉行の下代や奉行自身が、地理的便宜上出張して裁断を行った場所です。

山田奉行所建物平面図
山田奉行所建物平面図
山田奉行所記念館は、着色部分を復元した。

何をしていたのか…?

山田奉行の職務は、「京兆府尹記」に、つぎのように見えており、いまの海上保安庁の役目ももっていました。


一 内宮外宮両太神宮之警衛にして二十一年目毎に御遷宮之節御造営奉行
例年九月十六日神事之節御神事奉行たり
是御役之第一也


一 伊勢志摩両国及山田御神領之分ハ当所奉行支配す尤公事裁判取行ふ
是御役之第二也


一 最寄之諸候変事有時ハ御教書を達し其急を防ぐ南海道之主将紀伊大納言殿江申而倶に防ぎ内宮外宮両宮を守護す
是第三也


一 志摩国鳥羽之港ハ西国船廻送之分風待する所也武具或ハ怪敷荷物あれば是を点見し兼而ハ南海漂流之異国船あれば其筋を尋問し江府江言上し長崎江送る旦ハ御防之一所也
是御役之第四也


 また、その機構と人員は「寛文乙巳備忘録」に、つぎのようにありますが、江戸町奉行のそれに比べても、決して劣らぬ充実ぶりでした。


御奉行 二人 御旗本也
御用人 三人 御奉行之手人也
御給人 三人 御奉行之手人也
支配御組頭 四人 御旗本に而又御船手御組頭と称す
与力 六人  御譜代席に而又御船手与力と称す
 右奥勤又御家中と称す也
同心 二十人 御譜代准席より御抱席迄に而御船手同心と称す
水主 四十人 御抱筋に而御船手水主と称す
 右御組又組方と称す也

玄関
山田奉行所の玄関2←↑玄関






書院
書院2書院









お白州
お白州
奉行所で罪人を調べる場所。 白い小石が敷いてあったからいう。本来は壁と屋根があった。
御座船虎丸模型
御座船虎丸模型
山田奉行所に配置された御座船虎丸は、68挺立て、換算すると、全長25.9m、胴幅6.8mで、縮尺30分の1で制作。
御座船虎丸の装丁・要領



御座船虎丸の装丁・要領