山田奉行一覧

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ページ番号1002127  更新日 令和2年1月23日

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奉行は、奉行所が設置された最初の1代から4代までと、12代長谷川周防守から19代黒川丹波守までが2人制、他は1人制でした。2人の場合は、1年交替で在勤し、非番には江戸へ帰るのが普通でした。奉行の位階は従五位下(朝散大夫)で、諸侯に同等対応できるように位置づけられていました。初期、中期の役料は高3千石で、旗本の中から勝れたものを抜擢しました。なお、最後の奉行だけは、神戸藩主本多伊予守が選ばれました。

山田奉行一覧
歴代 奉行名 就任・退任  

1

長野内蔵允友長 慶長8~元和4

江州山中代官より有滝へ着任(1603)

軍船虎丸大坂より回漕(1603)

2

日向半兵衛政成 慶長9~元和3  

3

水谷九左衛門光勝 元和3~元和8  

4

山岡図書頭景以 元和4~元和8  

5

中川半左衛門忠勝 寛永元~寛永6 奉行1人制(1624)

6

岡田伊勢守善同 寛永6~寛永8  

7

花房志摩守幸次 寛永8~寛永18

二見郷6村神領に復す(1633)

小林役所竣工(1635)

船倉移設(1636)

8

石川大隅守政次 寛永18~萬治2

花房志摩守供養塔建立(1641)

豊宮崎文庫創立(1648)

9

八木但馬守宗直 萬治2~寛文5 遷宮が慶光院から離れる(1663)

10

桑山丹後守貞政 寛文5~天和4

鶴松浜新田開発(1666)

百間堀を築く(1672)

11

岡部駿河守勝重 貞享元~元禄9 林崎文庫創立(1687)

12

長谷川周防守重章 元禄9~宝永5 奉行2人制(1696)

13

久永丹波守重高 元禄9~元禄12  

14

浅野美濃守長恒 元禄12~元禄14  

15

堀隠岐守利壽 元禄14~宝永4  

16

佐野豊前守直行 宝永4~正徳元  

17

渡邊下総守輝 宝永5~享保11  

18

大岡能登守忠相 正徳2~正徳6  

19

黒川丹波守正増 正徳6~享保11  

20

保科淡路守正純 享保11~享保18

奉行1人制(1726)

大湊波除堤修築(1729)

21

堀対馬守直生 享保18~元文3 保科淡路守供養塔建立(1737)

22

加藤飛騨守明雅 元文3~延享3  

23

堀伊賀守利庸 延享3~寛延4 宮川浅間堤修築(1748)

24

水野甲斐守忠福 寛延4~宝暦11  

25

大岡美濃守忠移 宝暦11~宝暦13  

26

依田肥前守恒信 宝暦13~明和8  

27

松田河内守貞居 明和8~安永4  

28

山田肥後守利壽 安永4~天明6  

29

野一色兵庫頭義恭 天明6~寛政6  

30

堀田土佐守正貴 寛政6~享和2 小林役所増築(1801)

31

筧越前守為規 享和2~文化3  

32

小林筑後守正秘 文化3~文化8  

33

大河内肥前守政長 文化8~文化12  

34

高井山城守実徳 文化13~文政3  

35

星野丹後守益庶 文政3~文政10  

36

牧野長門守成文 文政11~文政13  

37

金森山城守可充 文政13~天保6  

38

柴田日向守康直 天保6~天保11  

39

三枝伊豫守守行 天保11~天保12  

40

落合能登守道一 天保12~天保14  

41

柳生播磨守久包 天保14~天保15  

42

太田志摩守資貞 天保15~弘化4

小林役所焼失(1845)

再建(1846)

子弟教育のため申儀館設(1847)

43

小出豊前守英美 弘化4~嘉永元  

44

河野対馬守通訓 嘉永元~嘉永3  

45

山口丹波守直信 嘉永3~安政5 御座船虎丸解体(1847)

46

渡邊肥後守孝綱 安政5~安政6  

47

秋山安房守正光 安政6~文久3 江、今一色に砲台構築(1863)

48

本多伊豫守忠貫 文久3~慶応4 度会府橋本知事山田奉行所を接収(1868)

花房志摩守幸次 第7代奉行

第6代奉行岡田伊勢守在役中より計画されていた度会郡小林村への御役所建設を進め、寛永12年(1635)奉行はじめ水主同心衆一同が、有滝から引き移り、翌年には、船蔵も移転しました。
また、二見郷6ケ村は、古くから神領の地でありましたが、戦国期に鳥羽城主九鬼氏に押領されていました。住民の声を聞き、花房奉行が斡旋、将軍家光は、二見郷6ケ村2,132石を両宮に寄進しました。後に、郷民はその恩徳を称え、供養碑を建立しました。

大岡能登守忠相(のちに越前守) 第18代奉行

大岡裁きで有名な奉行ですが、正徳2年から6年までの4年間(奉行2人制)の勤務でした。紀州領と神領との境論解決などの話が残されていますが、三方一両損、地蔵裁判などを含め、江戸に戻って、普請奉行、江戸町奉行を歴任するなかでできあがって行った説話だといわれています。

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