名所・旧跡

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ページ番号1002253  更新日 令和元年12月30日

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西行谷神照寺跡(さいぎょうだにしんしょうじあと)

所在:伊勢市宇治館町字岩井田山

現在、西行谷神照寺跡の案内板は、三重県営総合競技場の敷地内にあります。見学に際しては、競技場の事務所で見学を申し出てください。よろしくお願い申し上げます。

写真:西行谷神照寺跡

三重交通Gスポーツの杜伊勢〔三重県営総合競技場〕の補助競技場の東方に、平安時代末期の歌人として有名な西行《1118~1190》が一時住んでいたと伝わる場所があり、西行谷とよばれています。
ここには神照寺という尼寺があり『伊勢参宮名所図会』(いせさんぐうめいしょずえ)にも紹介されています。名所図会には、谷に接して庵が営まれたような平坦地があり、奥には小さな滝も描かれており、往時の雰囲気がしのばれます。
実際、この場所に西行が住んでいたかどうかは明らかでなく、神照寺は明治4年《1871》に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響により廃寺となりましたが、同32年《1899》には西行谷保勝会が組織され、茅葺の庵を新築し、雅趣あふれる風情を楽しんだという記録もあります。
なお、西行ゆかりの地としては、二見の安養寺(あんようじ)〔伊勢市二見町光の街〕も知られており、平成4年《1992》の発掘調査では平安時代末期~鎌倉時代にかけての建物跡・各種土器・その他多くの木製品が出土しています。

国指定史跡 旧豊宮崎文庫(きゅうとよみやざきぶんこ)

所在:伊勢市岡本3丁目 大正12年3月7日指定

写真:旧豊宮崎文庫

この文庫は、内宮の旧林崎文庫(はやしざきぶんこ)とともにわが国における図書館史上に異彩をはなつ施設です。慶安元年《1648》、外宮権祢宜(ごんねぎ)・出口延佳(のぶよし)の首唱により山田三方(さんぽう)等の協力のもとに創設されました。寛文元年《1661》には、山田奉行八木但馬守宗直は幕府から永代修繕料の寄進を受けています。以来、外宮祠官子弟の修学道場として発達し、毎月一定日に神典等の講義がありました。大塩平八郎等多くの碩学(せきがく)の来講や書籍の奉納もあり、充実した施設となりました。
明治元年《1868》、この文庫は廃止され、同11年《1878》には火災により講堂が焼失しましたが、厄災を免れた2万余冊の書籍類は、同44年《1911》に神宮へ献納されました。
境内のお屋根桜《市指定天然記念物》は、古くから伊勢市の春に彩を添えてきました。

平成27年7月 伊勢市教育委員会

写真:旧豊宮崎文庫域内
旧豊宮崎文庫域内:正面は大観社、左側は書庫及び創立碑
平面図
旧豊宮崎文庫平面図(昭和11年頃)

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